明和2年(1765年)老舗呉服店白石呉服店イメージ

明治19年(1886)発行「山口県下豪早見便覧


白石呉服店は、明和2年(1765年)
初代、白石宇佐衛門が山陽道と萩往還が重なる防府天満宮の鳥居前町・宮市に創業しました。
萩藩7代目藩主・毛利重就公が、明和元年(1764)に塩田の鶴浜に開作に着手、4年後に三田尻港整備を行った時代です。

白石家住宅には「大石の間」と呼ぶ部屋があります。これは、幕末、高杉晋作の海軍増強・町衆の徴用に際し、萩から三田尻港への移動する多くの藩士を接遇し、また多額の寄付を行うなどの功により「今後は白石ではなく大石と呼ぼう」といわれたことに因んだもので、高杉、久坂らとの写真も現存します。

幕末の当主は、密偵の疑いをかけられそうになった初代伊藤忠兵衛(伊藤忠商事、丸紅の創業者)を自宅に匿い、2代忠兵衛とも親交を結びました。

戦前の歴代当主は宮市銀行の頭取や監査役、天満宮の氏子総代などを務めました。また、戦後の8代当主・民造は丸紅の全国取引先組織・親紅会の会長を長く務める一方、防府市教育委員会を務めるなど、長きにわたり防府市の教育に携わりました。

以来、250年の時を経て
平成27年(2015)年の11月に10代目として白石民彦へと引き継がれております。

時代の波に翻弄されながらも皆様から支えられ、貴重な年輪を積み重ねることができました。

御礼を申し上げると共に今後とも「きもの文化」の担い手として
次世代へ引き継ぐべく一層の精進をする覚悟でございます。
引き続きのご指導・ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

株式会社 白石呉服店 第10代店主 白石民彦

白石精神

株式会社白石呉服店の従業員はお互いに積極的商主義の発揮に努力を致すとともに次に掲げる
白石精神を対して自己の日常心得としなければなりません。


一、禮儀を重じ至誠謙譲を旨とすべし

御得意先、上役先輩の人に対しては勿論、常に禮儀を厚くして品性の向上に心掛け事を成すためには、至誠一貫人に接するには温厚親切そして謙譲の美徳を積まねばなりません。

一、己に克ち和協一心を念とすべし

凡そ店と云ふ一つの組織の中で共同生活を営む以上お互いに自我を捨て和合し事へるに一致協力上に背かず、下に驕らず雷同を謹んで店務の遂行に萬全を期さねばなりません。

一、任務に忠実に常に責任を全うすべし

自分に与えられた任務は如何なる事も忠実に全責任を持って之を貫徹し仮初めにも、無責任な行為があってはなりません。
責任観念乏しい人間は信用を失しない店は重用せず、他人は敬愛せず自ら不愉快な生活を招くことになります。

一、向上を念とし公明正大を期すべし

日進月歩の時勢に立ち遅れぬ様知識を磨き身を修め絶へず発展向上に心掛けると共に私利に惑はず姑息と排して態度は常に公明正大でなければなりません。

一、意志を強固に質素倹約を図るべし

少しの心の弾みから奢侈安逸の悪風に染み志半ばで身を過まるのは誠に嘆かわしい、意志は強固に思想は堅実に
日常生活は質素を旨として恭儉の徳を積まねばなりません。


白石呉服店のあゆみ


西暦沿革出来事
1765年白石呉服店創業 初代 白石宇佐衛門
1871年廃藩置県により山口県になる
1882年種田山頭火誕生
1883年楫取素彦、文(美和子)と結婚
1902年佐波村と三田尻村が合併して防府町となる
1905年7代 白石民之助
1925年民之助 遺族院多額納税者名鑑に記載
1936年防府市設立
1953年8代 白石民造
1962年三田尻駅から防府駅に改称
2004年9代 白石英子
2014年10代 白石民彦
2015年創業250周年新店舗開設

白石呉服店 資料


展示会の様子イメージ

展示会の様子


展示会の様子イメージ

展示会の様子


歳の市大売出し案内状イメージ

歳の市大売出し案内状


白石の蔵ざらえ案内状イメージ

白石の蔵ざらえ案内状


戦時中チラシイメージ

戦時中チラシ


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